おまけ 山岡消費者問題担当大臣のマルチ商法講演会ビデオ 3/5 |
動画:http://www.youtube.com/watch?v=cBpRYTd_RIk
(承前)
(書類をめくっている同僚を見るそぶりで)お前一体何やってんの、一日? 私もう1時間ぐらいで済んじゃって、バカバカしくてもう、フラフラフラフラ、それでも仕事は一番。そうでしょう? やってる真似したってしょうがない。だからその、フレックスタイムでですね、自分の好きな時間に好きな仕事をして、その価値のものをもらうというのには、びっくりしましたけどね、極めて合理的だと思いましたね。
日本はもう拘束の社会。なんでも縛られてると、隣近所からも針の目でこうやって見られてると。嫌なとこですね、そういう点では。
だからその社会をですね、抜け出していただきたい。また、打破していただきたいんです、皆さんに。どうしてかと言いますとね、このまま行ったら日本はつぶれちゃいます。今、格差社会と言われてますでしょう? つまりですね、超大企業か、超エリートか、超中央にいる人は儲かりますよ。しかし、95%から98%の一般の皆様というのはですね、どんどんどんどんどんどんどんどん、収入やチャンスが減っちゃってると、こういう社会になっちゃったんです。こういう国は滅びるんです、どこでも。必ず滅びるんです。貴族とエリート役人が実権を握ったところっていうのは、大概滅びるんです。革命が起きるんです。
だから日本もですね、表向きはよさそうですけど、どんどん斜陽に向かってますでしょ? 斜陽に向かってる。特に一般の皆さんの生活は斜陽に向かってる。それをですね、変えなきゃいけない。日本てのは、戦後間もないころまではそういうやり方で成功しました。だって、焼け野原ですからね。焼け野原の中で茫然自失、着の身着のまま、どうしたらいいかといった時に、中央集権、護送船団、日本株式会社、官尊民卑でですね、日本は確かに成功したんです。
(水を飲んで)ノニが入ってるんですけど、また蓋が固く閉まってるんですね。注げないようになってる。(会場笑)工夫してますね、こちらもね。(会場笑)
だけど、そういう世の中は終わったんです。もう、ひとりひとりの人がですね、みんな能力もつけた、チャンスもある、時間もある。ところがですね、日本はどうなんでしょう? 途中で辞めた人は、もう何かね、一人前じゃないような扱いですよね。
子供ができましたと。会社辞めて復帰したらですね、もう、パートかですね、派遣社員しかないと、こんな馬鹿な世の中ないじゃないですか。だから、この私たちの仕事というのはですね、もちろん日曜の休みの時でもいいと、定年になってからでもいいと、あるいは、若くてもいいと、男でもいい、女でもいい、年には関係ない、一生のフレックスタイムで、その分だけの価値を得られるというのが、ネットワークビジネスなんですよ。
日本がなぜ斜陽になったか、常に中央集権、団体戦、大きくなきゃ駄目、だから今ITっていうのが全盛になってきたんです。日本は世界の75カ国の中で21番目、全然駄目なんです。なぜかと言ったら、ITというのは個々の人たちなんです。インドがなぜ延びたか、東南アジアがなぜ延びたか、日本みたいに団体じゃない、個々なんですね。個々だったから駄目だった時代もあったんです。今は個々だから延びてってるんですね。ひとりひとりだから伸びてってるんです。
だから日本を変えるにはですね、そういう皆さんのエネルギーや能力やチャンスをですね、活かせるような社会にしなきゃあならないと、こういうことを私は考えているんですね。(少し拍手)ありがとうございます。どうせするならもっと盛大に拍手をしてください。(盛大な拍手)いやどうもありがとうございます。
だから、皆さんにはですね、是非誇りを持ってですね、使命感を持って、今の仕事をやっていってほしいんですね。そうすればですね、日本が生まれ変わるし、生き返るんです。そういうことをやる人をですね、革命児と言うんです。革命児。だから織田信長なんです。
織田信長って人は、何て言われたか。馬鹿だ、うつけだ、キチガイだ、常識破りだ。傍目からは、破天荒だ、こう言われたんですよ。ね? だってそうでしょう? 殿様の子供でエリートのはずなのにね、なぜか知らないけど頭むちゃくちゃにして、そして、こんなアレして、もう、村の子と一緒にですね、踊り踊ったり、水泳やったり、潜り込んだり、色々して遊びほうけてると。あいつは阿呆だと、こう言われたんですね。
実は違うんですね。彼はね、もうそういうことを通してね、学者的に言うと立派な言葉なんです、マーケティングリサーチというのをちゃんとやってたわけです。(会場笑)ね? そして、今川義元、2万5千が攻めてきた。なぜ桶狭間だったのかと。彼は地の利を知ってたからですよ。ずうっと。地の利を。ね。で、桶狭間に入ったら、2万5千いたって無理でしょ?
普通はですね、攻める時というのは、もう向こうが来ると、少数の時には籠城。それを彼は寝転がって、裸で。そして、今度は出陣の時は熱田神宮に行ってね、南無八幡台菩薩この戦いに勝利できますように、瓦をパーンとやって、エイエイオー、ジャーンジャーンジャンガラガッて、出てったんです。
全滅ですよ、そんなこと。少ないんだから。彼は寝転がってた。そこに入ったとたんに、わーっと出てったわけですね。
だから、何をしたかと言ったら、彼はですね、このスピード化ということを非常に重視したんですね。兵は神速を尊ぶと。どんなビジネスもスピードがなきゃ駄目なことがあるわけですね。さっとやんなきゃ。ね? しっかり用意したからいいってもんじゃないんです。もうやろうと思ったらババッとやってくんです。皆さんもババッとやってく。考えるより先にやる。
そしてですね、ちゃんと論功行賞が誰に行ったかと言ったらですね、普通は首刎ねた人が一番なんです。ところが、ね、彼が一番にしたのは、名もなき田舎の子で、田舎の人で、今川義元が桶狭間に入ったよという情報を入れた人を、その手柄の第一にしたんです。だから彼は情報化時代にもまた先取りしてたわけですよ。情報化時代。そういうことまで言うと、なあるほど、と言うんですよね。
そして、その次はですね、今川義元を見つけて、お尻に槍をぱっとくっつけた人が、二番目。三番目が首刎ねた人なんです。だから、人事評価も、全く違ったんですね。
お父さんが死んだと。こんなくだらないこと、何してんだ? 位牌の灰を、この、線香の灰を、びゃあっとぶつけて出て行きましたよね。何と言う非常識なやつだ。そうじゃないんです。そういう古い習慣やね、坊主の言いなりになってるから、世の中は変んないんだと。彼は、常識はずれじゃなかったんです。その頃の常識がもう、変っちゃってたわけですね。だから、信長は真実を追究したんです。誤った常識を破壊したんです。だけど、世間からすりゃあ、それはですね、常識破壊の人間、はちゃめちゃな人間、こういうふうに思うんですね。
ネットワークやってんだって、あの人。そういう誤った知識を持っている人たちはそういう見方で見るかもしれないが、誰かがそれを打ち破ってかなきゃいけないんですね。そして真の常識を打ち立てていかないと、世の中はよくなっていかない。それを最初にやる人は痛みを伴うんです、痛みを。
だから、織田信長……(続く)