小沢・菅・鳩山 on クリスマス 1 |
12月25日 NHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の漂流」 前編1
ナレーション(以下N) 新たな総理大臣で年の瀬を迎えるのも今年で6年連続となる日本。
字幕「2011年政治をどうみる?」
(街角でインタビュー)
女性: 震災も…いろいろありましたから、事情はしかたないにしても、政治家の皆さんの体たらくがあまりにもひどいんじゃありませんか?
男性: ちゃんと、まっとうな議論を国民に見せてほしいです。
若い女性: 関心がないわけじゃないんですけど、期待はしてないですね。期待しても結果が出てきた事を自分は見たことがあまりないような気がして…
N: 2年前、政権交代を掲げて衆議院選挙で勝利した民主党。しかし、その後政権運営は迷走し、何を旗印に党が結束していくのか見えにくくなっている。
N: 民主党3人目の総理大臣、野田佳彦。
聞き手:どうも、こんにちは。よろしくお願い致します。
N: 総理就任直前、単独インタビューに応じた野田は、政権交代からの2年、多くの失敗があったと認めた。
野田: 党を挙げた体制が出来てなかった事、それによってのバラバラ感が、国民にご心配をおかけする結果になりました。今度失敗したら、もう民主党に二度と政権は来ないと思います。背水の陣です。
N: この2年、民主党は、何を目指し、何につまづいたのか。未曾有の国難にどう対応したのか。政治家たちは何を考え、どう政権を担ってきたのか。
当事者たちが語った。
鳩山: 政権を取った直後から、それならば自分の意のままにやりたいという我欲というものがどうしても出てしまって、どういう立場であってもみんなでみんなを支えることができなくて、何で困っている国民を救えるはずがないじゃないかと。
菅: それはもちろん、私の方にも不十分さはたくさんあったと思いますが、なかなか国難だから、国家国民のためだから、ここまでは譲り合おうという形には残念ながらなかなかなりませんでした。
小沢: やっぱりね、ある意味で自民党政権が半世紀も続いて、その間政権を取った政党はゼロですから、そういう意味ではやむを得ないんですよ、しっちゃかめっちゃかやってるのも。
N: 変革が期待された2年前の政権交代。日本政治はなぜ漂流を続けたのか。政治家たちの証言で迫る。
♪
字幕(タイトル) 「証言ドキュメント 永田町・権力の漂流」
鳩山(演説): 新しい日本を作って行こうではありませんか! (拍手)
N: 圧倒的な民意の後押しで起きた、2009年の政権交代。
前原: マニフェスト通り、中止します。
蓮舫: 2位じゃ駄目なんでしょうか。
沖縄のデモの声: 帰れ! 帰れ!
N: しかし、掲げた政治主導は迷走。政権担当能力に不信が高まった。
鳩山: 国民の皆さんが聞く耳を持たなくなってきてしまった。
映像:尖閣事件の動画
菅:私の考えが国民の皆様にうまく伝えられず…
N: 政治への失望感が広がる中、日本を襲った大震災。
枝野: ただちに人体に…国民の皆様には冷静に…
避難所の被災者: 本当に我慢しているんです! もっともっと頑張って頂いて…
N: そして、永田町は、民主、自民を巻き込んだ倒閣への思惑が交錯した。
松木: みんなおかしいよ! みんな! 何なんだよ、これ!
N: 勝者なき権力闘争、その果てに失墜した政治のリーダーシップ。
野田: ノーサイドにしましょう、もう。
N: 総理大臣の交代が繰り返される中、政治は再生への道を歩む事ができるのか。「証言ドキュメント 永田町・権力の漂流」、前編は、政治主導がどのように迷走したのか、その実態に迫る。
字幕 「前編 迷走した政治主導」
映像:2009年8月30日 民主党選対本部
(どよめき)
N: 開票速報の数字にどよめく会場。2年前の夏、民主党は、ひとつの政党としては戦後最多の308議席を獲得。しかし、総理大臣になった鳩山は、当初から経験不足を懸念していた。
鳩山: 私などもですね、今までに大臣も経験していない人間が突然総理大臣やれという話になった訳ですよね。新しいことずくめの中でですね、経験不足の私どもが政権についたと。意欲はあったんだけれども、その意欲が、必ずしも順調に回らないで、空回りしてしまったところもあったんじゃないかと。ただ、逆回転させてはならんぞという気持ちは強く持ってはいたんですけどね。
N: 鳩山の最大の懸念は、政権交代まで力を合わせてきた小沢と菅の処遇だった。
映像:2006年の民主党CM。嵐に翻弄される帆船。
N: 民主党は、小沢率いる自由党と、菅と鳩山が率いる民主党が、政権交代を目標に2003年に合併、運営されてきた。
民主党CM: 船の激しい揺れに吹き飛ばされる小沢「うわーっ!」
N: 寄り合い所帯と言われた集団を、この3人が、いわゆるトロイカ体制でまとめ上げてきた。
民主党CM:小沢、菅、鳩山が声をそろえて「生活維新だ!」
映像:民主党CMの撮影風景。グリーンスクリーンを背景に、嵐で吹き飛ばされる動きをする小沢。
N: 政権交代という目標を達成したトロイカ体制。しかし、その結束は、人事を巡って、早くもきしみ始めていた。
映像:CM撮影風景。「生活維新だ!」と声をそろえる3人。
N: 鳩山は、小沢を党の要、幹事長に起用、入閣は見送った。
鳩山: 入閣することだけがこの国を新しい方向に変えていく力になるとは思いませんでしたから。また、ご本人も、必ずしも私は、大臣を望んでおったとは思いませんでしたから。
N: 当初、民主党は、党幹部を閣僚と兼務させ、政府与党一体で政策を決めるとしていた。しかし、鳩山は、小沢を入閣させず、政府からはずした。小沢にとっては不本意な人事だった。
小沢: 鳩山さんが首班指名受けてね、それで、そのあと、5人だったかな、5~6人かな、幹部会をやって、その席で鳩山さんが、幹事長や党の人は内閣に入れない方針に決めたと、こういう事だったので、政策決定は政府で、党はそれに関与しないというような、よく言えば役割分担ではあるんだけれども、今までの政治主導、国民主導の政治のための政府与党一体と言う考え方は、その時点でちょっと捨てられちゃったんだね。
N: 小沢側近の高嶋良充。鳩山サイドから入閣見送りの理由を聞かされていた。
高嶋: 政治とカネの問題で…。小沢さんはね、中に入ってやる意思は持っていたと思いますよ。だけど、ほかの皆さん方が、そんなの、もう、袋叩きに遭うんじゃないかと。閣僚であれば、何も証人喚問しなくても、呼びつけて、いつもそれをやってたらいい訳だ。そしたら国会が回らなくなると、こういう老婆心的な事と、小沢さんが入ってきたら大変だというね、そういう非小沢の閣僚の皆さん方もいるものですから。
N: 一方、鳩山は、菅を副総理兼国家戦略担当大臣に起用。当初、国家戦略担当大臣が会長を兼務するはずだった党の政策調査会は、廃止された。菅は、この決定を、入閣できなかった小沢の意向が働いたと受け止めた。
菅: 当初はですね、私に、副総理兼国家戦略担当と同時に、政調会長としてですね、党の政策調整、これは、野党時代は一番力を入れた場面ですが、それを兼任すると言う事をやってくれと言われていまして、分かりましたと、そういうつもりでいたんです。残念ながら、それが直前になって、まあ多分小沢さんの提言でしょうが、鳩山総理からですね、いや、政調会そのものを無くする事になったと。党は、小沢…当時の幹事長に全て任せて、政調会は無くする事になったと。私は、率直に行って、それは反対をしました。
聞き手: 一部には、小沢さんが、権力を党の方で集中するために政調を廃止したんだと。
小沢: それは、全然、無知な人というか、知らない人じゃないかな。政調であろうが、総務会であろうが、基本的には、幹事長の、政調会長も総務会長も、指揮の下にあるので、それの方がよっぽど、仕組みから言えば、幹事長の権限は大きかった訳だね。
菅: 政調会を小沢さんが廃止をするという事で、無くなってましたので、内閣に入らなかった議員は、自分たちの主張を反映する場所が無くなったという意味では、これは、大変、ある意味で残念な形になってしまいました。
N: 政権交代に向けて結束してきたトロイカ。しかし、政権をスタートさせる最初の人事で早くも足並みの乱れを見せた。民主党が新政権の旗印にした政治主導。大臣、副大臣、政務官から成る政務三役が各省庁に乗り込んで、政策決定を行うとしていた。彼らにとって最初の大仕事は、官僚に頼らない政治主導の予算編成だった。
映像: 猛然と電卓を叩くスタッフ。
N: 鳩山政権の官房副長官、松井孝治。政権交代以前から、政治主導の構想を描いていた。
松井: 政治家が役人におんぶにだっこなんですよ。それを変えたいと。従来のしがらみにどうしてもとらわれたような各省のシェアというものを打ち破って、本当に今必要なところに思い切った傾斜配分の財政予算編成、あるいは、税制の抜本的な改革を行うというのが本来の趣旨ですね。
映像 「国家戦略室」の看板 (拍手)
N: 当初予算編成の司令塔になるとされたのが、菅が担当する国家戦略室だった。しかし、新しい組織のため、政策スタッフもおらず、ゼロからのスタート。その足場は脆弱だった。
菅: 政調会長と兼務であれば、政調会に議員がたくさんいますから、その議員の中で、あるいは党の政調会の職員も使って、色んなことが並行的にはやれたと思います。その並行的にやれる事が政調会が無くなる事で出来ませんでしたから、国家戦略室が機能するのに、多少の時間がかかったと。
N: それまで、予算編成は、春から議論を始めて、6月に予算編成の大方針、骨太の方針を決定。それに基づいて、12月末までに作業を終えていた。鳩山政権は9月に発足したため、与えられた時間は少なかった。
N: しかも、鳩山政権は、自公政権が取りまとめていた骨太の方針を破棄、菅はこれに代わる新たな方針を早急に作らなければならないと考えていた。政務官として菅を支えた津村啓介は、菅の焦りを感じていた。
津村: 骨太の方針のような、あれは確か20ページか30ページあるんですけども、あのぐらいのボリュームのものを、これから1週間か10日で作らなければいけない。そんなイメージを持っていらっしゃったので、とてもじゃないけど間に合わないじゃないか、スタッフもいないじゃないかという事で、非常に…焦っているというか、機嫌が悪いというか、そんな状態だったんです。
N: 脱官僚依存を貫き、どのように政治主導の予算編成を行なうのか、菅は、政権交代前、官僚出身で総理秘書官も務めた江田憲司にアドバイスを求めていた。江田が忠告したのは、財務省との関係についてだった。
江田: ひと言で、官僚とか霞ヶ関とか言ってもね、一番の元締めは財務省ですからと。その財務省との関係で、予算編成権との関係で、しっかり総理や官邸がその権限を握っていかないと、どうしても官僚主導になりますよ、という事は申し上げました。
N: 財務省に主導権を奪われてはいけないと助言を受けた、菅。
字幕 「政権発足10日目」2009年9月25日
N: 政権発足から10日目、菅は、それまでの考えを変える事になる。
N: この日、議員会館の一室で、国家戦略担当の政務三役と向き合っていたのは、現在の勝事務次官である。(勝栄二郎財務省事務次官の映像)
N: この会談に同席していた津村は、その時のやり取りを鮮明に記憶している。
津村: 勝さんの方から、「副総理、骨太の方針と同じものを作る必要はありません。マニフェストに沿った形で概算要求をして下さい。そういうA4一枚の紙を出せば、それで事足ります。私たちは、10月半ばまでにそれをやって頂ければ、年内編成をきちんとやり遂げるという事をここでお約束します」という事をおっしゃったんですね。菅さん、それで一気に荷が下りたというか、非常に肩の荷を下ろしたと、安堵の表情を浮かべられて…。
N: マニフェストには、政策の工程表と財源が記されていたが、優先順位は示されていなかった。菅は、これをそのまま予算の方針にすればいいという勝の提案に乗った。
津村: 菅さん、1週間で、主計局長の罠にはまっちゃったのかな、がっかりだな、って思ったのは、事実です。勝局長の方からすれば、菅副総理に現実的な答えを提案したという以上でも以下でもないと思うんですけども、やはり財務省の力を大きく借りざるを得なかった。そこでひとつの流れが出来ていたという事は、あると思いますね。
N: この会談の4日後に閣議決定された予算編成の新たな方針。A4一枚の紙には、「マニフェストを踏まえた要求を行なう」とひと言記されていた。政策の優先順位は示されなかった。
江田: 予算編成権というのは、憲法で、内閣にある訳ですよ。財務省じゃないんですよ。まさに、内閣で国家戦略局を作り、そこで予算の基本的な骨格を決めていく。これが政治主導なんですよ。それができなかったという事が、本当にスタートダッシュの大きなつまづきだったと思います。
聞き手: 国家戦略室というのは、予算の司令塔としての役割を求められていたと思うんですが、財務省との関係というのは?
菅: 我々が政権を取ったから急にそういう具体的なところまで全部財務省を外してやるなんて事はあり得ないし、また、必要もない訳です。だから、それをすると財務省の手の上に乗って、政治主導がそうでなくなったというような言い方をされるのは、私の実感からすると、全く違います。結果としては、あの予算編成は、私の見るところでは、マニフェストに沿った予算編成という意味では、しっかりやれた予算編成だと思います。
N: マニフェストに沿って積み上げられた予算要求。子ども手当や農家の戸別所得補償など、総額はそれまで最大の95兆円あまりに上った。優先順位をつけずに膨張させたため、鳩山政権は、財源探しに苦しむ事となる。政府に入った政治家たちが予算編成に追われる中、党側には、新たな権力が築かれていた。
N:政策決定から外されていた小沢。業界団体や自治体などからの陳情の窓口を幹事長室に一元化した。
(民主党の小沢幹事長による文書の映像)これは、小沢が示した陳情一元化の仕組み。全ての陳情は、まず幹事長室に集められ、重要度を判定した後に、各省庁の政務三役に伝える事になっていた。前の福岡県知事で、全国知事会長を務めた麻生渡。陳情をテコに、予算編成に影響を及ぼす小沢の力を実感した。
麻生: 陳情こそ全てなんですね。あれで皆さんが何を困っているかを知るんですね。政府側の予算編成は、本当の意味で行き詰り始めたんですね。そういう状況ではありましたが、やはりその時の状況は、党側の予算編成上の影響力が非常に強いと言う実感がありました。我々も、実質的に誰が本当の決定権を持っているかという事を常に見ていますからね、それを見た上で、党側に行った訳ですね。
N: 12月上旬、政府は、財源が見つけられず、予算編成は難航していた。
字幕 「2009年12月16日」
N: 大詰めを迎えた、12月16日。本来は政策決定に関わらないはずだった小沢が、官邸に乗り込んだ。
官邸に乗り込んだ小沢: これは、党というよりも、全国民からの要望でございますので、どうぞ、可能な限り予算に反映させて頂く事が出来ますよう。
N: 小沢は、陳情で吸い上げた意見を基に、政策の優先順位を政府に伝えた。(重点要望の文書の映像)小沢が政府に提出した要望書。マニフェストで廃止するとしていたガソリン税の暫定税率の維持や、農業予算の大幅組み換えなどで、財源は確保できると示してみせた。
小沢: 各省庁が、何だかんだ、何だかんだ、勝手な事を言うでしょ。それをまとめきるというのが、非常に難しくなってきた訳ね。少なくても、各省庁から予算出させるのはいいとしても、その優先順位をつけるのは政治の役割で、それが政治主導、国民主導。それを、ただ単に役所から来たのを積み上げて、それをまとめて予算と言うのじゃ、何の意味も無い。つじつま合わせなきゃ予算編成にならないからやっただけの話で、政府が全部うまくまとめてくれるなら、何にも、書類、ただピョッと届けただけで済んじゃったんだけど、そうはいかなかったから。
N: 予算編成の司令塔だった国家戦略担当大臣の菅は、複雑な心境をにじませた。
菅: 統治機構の問題で言うと、党と内閣の関係性がですね、鶴の一声、党の幹事長で決まったように見えたのは、私は決していいことではないと。内閣で議論してやっているのを、何かこう、鶴の一声で決まるのかみたいな、そういう事があるとすれば、やはり内閣の求心力が弱まりますから、形としてはもう少し積み上げがあってもよかったかなと思ってますね。
小沢: それなら自分らで決めなさいと。僕は何もそんな面倒くさい作業したい訳じゃないんだから。自分たちで決められないものを、おたおたしてて、誰かが泥をかぶってやれば、あいつけしからんと。もう、民主党の一番悪い癖だね。自分で責任とって、自分で決めろと、そう言いたいんだけども、まあ、経験の無い人が多いから、しかたないですけどね。
N: 政治主導のあり方が問われた予算編成。当初政府が目指した政治主導による予算編成に課題を残す一方で、小沢主導の決着に不満の声も上がった。トロイカは、予算編成を通じて溝を深める事になった。
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この2年、民主党政権のガバナンスの効かなさというのを我々は何度も目撃してきた訳ですが、この欠点は政権交代当初の予算編成で既に惜しみなく発揮されておりますね。
当時、鳩山総理(肩書きは当時、以下同じ)は、小沢幹事長に、党のことと国会のことを任せると言っていて、「国会のことを任せる」というのはどの法案を優先するかの決定権を小沢さんが持つ事になるのだ、と、青山繁晴氏が解説しておられました。
もうこの時点で、司令塔になるはずの国家戦略室と小沢幹事長の権限の範囲がどうなるのか、大問題になるのは必至だった訳です。
予算編成を巡るごたごたを、NHKは小沢幹事長と菅副総理の権力闘争の観点から見ていますが、別に小沢氏が絡まなくっても似たようなガバナンスの混乱が常態であることを考えれば(最近では八ッ場ダムとか)、あの時の予算編成の混乱の原因としては、権力闘争だけではなく、民主党の構造的あるいは体質的問題も絶対に見落とせないと私は思います。みすみす板ばさみになるような決定をしてしまう鳩山総理の個人的資質というのもあるでしょうけど、それだけで済ませる話であるとも思いません。