11月28日 参議院憲法審査会 9 衛藤晟一氏・有村治子氏・山谷えり子氏(自民) |
動画: http://www.youtube.com/watch?v=8dLRcBmf7Ms(9分23秒ごろから終わりまで)
http://www.youtube.com/watch?v=w-FPWwMofME
自由民主党 衛藤晟一氏
会長 衛藤晟一さん。
衛藤 関谷先生、どうもごぶさたいたしております。
私も衆議院のときにも調査会の方でちょっと議論させていただいて、やっと参議院の方でこうして議論ができるということを本当に有り難いというように思っています。
先ほど我が党の西田さんからもお話ございましたけれども、やっぱり憲法のできた歴史というのはいろんな過程があったと。それは、大きく国会議員としてこの流れは冷静に受け止めなければいけないんではないのかという感じがします。やっぱり憲法ができたときの制定過程というのは、日本が敗戦を迎え、そして占領という中で、アメリカが日本をどういう具合に統治するかということで基本的に日本に作った、あるいはこの中に近衛さんもいろいろかもうとしたりと、いろんなこともありましたけれども、その中でも日本の中でこの動きに一部呼応する人もいたし、逆に言えばその動きを防ぐために早く乗れという人もいたし、そういう中で日本国憲法の形が出てきたという具合に思います。
それがやっぱり昭和二十四年ぐらいまではそういう形でしたけれども、今度はアメリカの方は、昭和二十四年に言わば中華人民共和国が成立したとか、あるいはその後の朝鮮動乱ということが起こることによって明らかにアメリカが方針転換をしたわけでありまして、だからこそ逆に言えば日本の占領が七年間で終わったということだと思います。
ですから、それから起こってきたことは、当初の四年間は日米関係の考え方の違いの中から、アメリカははっきりと日本に対してこういう憲法を作れという具合に言ってきた。しかし、それはある意味ではそのもくろみがアメリカは外れたというか、そういう中で、昭和二十四年から六、七年掛けての動きの中で大きな方向転換をしてきたと。それはやっぱり米ソ冷戦の中での日本に対する位置付けの転換が行われてきたと。だから、そういう中で日本の独立があったということが冷静な事実だと思います。
そんな意味では、やはりそのころのことを考えると、今の日本は、例えば基本的な人権というか、そういう権利というものはちゃんと確保しながらいかなきゃいけないということと同時に、これをどうやっぱり今からやっていくのかという、国づくりについて明らかに考えていかなきゃいけないときが来ているという具合に思います。もう少々、そういう意味では遅きに失しているんではないのかという感じがします。
今、片山先生からのお話ございましたが、明らかに、日本がずっと取ってきた、明治のときに廃藩置県をやって都道府県制度をつくって、そしてその中から戦後日本は政令市みたいなことをつくってきましたけれども、その矛盾が出てきたのが今回の大阪のダブル選挙、知事と市長のダブル選挙であったような気がします。そういうところに我々はずっと手付かずで残してきたという問題が出てきた。
ですから、今この憲法を議論するということは、やはり改めてあの憲法を作ったときアメリカの意思はどういうことにあったのか、その中で日本にとってはどうなのかということをやっぱりはっきり考えなきゃいけないし、そしてまた、その後の米ソ冷戦の中でそういう位置付けが行われて、そしてそれが終わってまた平成という時代になって、終わった中での今アジアの状況というのは非常に厳しい状況にあるわけでありますけれども、そういう中で日本がどう生き残るのかと。
そしてまた、改めて、中央と地方の関係だとか、あるいは公務員制度の在り方一つにしても、この基本的な問題は、ほとんど実は昭和二十四年に決められた問題であるからこの問題大きく含んでいるし、例えば農業の問題だって、アメリカが非常にやってくれた農地改革というのは自作農をつくって非常にうまくいったけれども、もうそれだけではやっていけないというようなところまで来ているということは明らかですから、その経過を踏まえながら日本がどういう国づくりをしていくのかというときに差しかかっているということが私は憲法改正の一番必要なところではないのかという具合に正直言って考えています。
ですから、徹底的な議論をしなければいけないというように思っています。どうぞよろしくお願いします。
自由民主党 有村治子氏
会長 有村治子君。
有村 自由民主党の有村治子でございます。
関谷勝嗣先生、会長でいらしたときには会長職ゆえになかなか御自身の御意見の開陳がかなわなかった中で、会長職を御経験の先輩として貴重な御意見をいただいたことを心から感謝申し上げます。
また、賛同するかどうかは別にして、各党会派の御意見、江田五月先生から始まりまして川口順子先輩始め、各党、各委員の御意見も本当にその特徴を表していて、なるほどそういう考えもあり得るのかという意味では、改めて党派を超えてお一人お一人の御意見に心から敬意を持った次第でございます。
その上で、共産党さんが、こんな大事な憲法のことを国会対策上、俎上に上げて憲法審査会を開始するのはおかしいというふうにおっしゃったんですけれども、逆の意味で私は、国会対策上、民主党さんのなかなかこの審査会の名簿が出されてこなかったという国会対策上の遅れたことに関しては非常に残念に思っています。それが議院運営委員会でも何度も何度も交渉の末、今日の実現に至ったことは改めて良かったなというふうに思っています。
その上で一点。
民主党の増子議員もおっしゃったことですが、やはりこの三・一一の東日本大震災を受けて、非常事態に対する事態、国家緊急権というお話もありましたけれども、まさにこのような国民の暮らしの基盤の土台を揺るがすような事態に直面する中で、やはり個々の権利義務あるいは社会の要請とか社会的責任に強い影響を及ぼす事態が発生した、またこれからも発生する蓋然性が低くないからこそ、憲法によってその範囲内で国家統治を明確にして、国民生活を脅かす非常事態に法治国家として立ち向かうということが極めて大事で、その中で国家国民益につながる公益をしっかりと担保していくというきずなを法的にしっかりと明確にして、その範囲内での私たちが遵法精神を明確にするということが大事だと思いますので、むしろ三・一一あるいはそれ以外の天災ということを中心にして、どのような制約が公益を実現するためにハンディになったのか、あるいはメリットになったのかということを、この時期だからこそ、私たち国民の代表、各層各地域の代表である議会人が明確に謙虚に耳を傾けて考えを広めて、そして、それぞれの各党各派の意見を開陳をしていくことが極めて大事だということのリクエストを会長にも是非今後の俎上に上げていただきたいということを意見表明をさせていただきたいと存じます。
以上です。ありがとうございます。
自由民主党 山谷えり子氏
会長 山谷えり子君。
関谷勝嗣先生、ありがとうございました。
自由民主党、山谷えり子でございます。
占領時代に憲法と教育基本法という日本の背骨に値する大事な二つの法律が占領軍によって作らせられました。昭和二十七年四月二十八日、主権を回復して来年で六十年目になるわけですが、私たちは、占領時代にどのようなことが行われたか、のまざるを得なかったかということを冷静に見詰めていく必要があるというふうに思っております。
憲法の前文に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という文章がございます。これは全く現実を見ていない空想的なわび証文であり、また主権国家としてあり得ない表現だというふうに思います。これをただすことすらできなかったこの長い長い年月というのは、本当に日本は知的怠惰であったし、そして主権国としての責任と覚悟がなかったのではないかというふうに思います。北朝鮮のような国によってどれだけ同胞がこれまで拉致されてきたのでしょうか。あるいはまた、竹島、今実効支配されておりますけれども、我が国の領土すら守ることができない。
私は、イラクの戦争の後、復興支援のためにイラクに参りましたが、そのとき連合当局と日本が自衛隊、どのような活動ができるかをいろいろ話し合ってまいりました。そのとき日本は、例えば水を配る、学校の修繕、補修をする、それすら自衛隊はできないわけです。他の軍隊によって守られながらそうした復興支援活動をしなければならない。それは憲法の解釈でできるかもしれませんけれども、非常に現実を見ていない日本の憲法によって、日本は主権国家としての当たり前の独立した行動もできなかったのではないかと思います。
これから本当に、グローバリゼーションの中で、今のような足かせをはめられたような形で主権国家として進んでいくというのはますます難しくなっていくのではないかというふうに思っております。国柄を守り発展させていく、そして国の形を時代に合ったものにしていく、こうした視点から議論を進めていただくことをお願いしたいと思います。今上陛下まで百二十五代、君民一体で我が国はすばらしい国柄を紡いでまいりました。正直、親切、勤勉、チャレンジ精神、親孝行、世界で最も古い連綿とした歴史、伝統、文化を持つ我が国、これは御先祖様から受け継いできたものであり、私たちがその国柄を発展してバトンを渡していく必要があります。そのためにも家族というものは保護、尊重されなければならない、そうした視点も憲法の中に入れていくことが大切だと考えております。